АРАССВАцентр сотрудничества Северо-Восточной Азии
大召寺
フフホト玉泉区南部に位置。「召(ザオ)」はチベット語で「寺院」という意味であり、中国語では「弘慈寺」「無量寺」と呼ばれた。寺内に銀の仏像があったことから、「銀佛寺」とも呼ばれている。 モンゴル黄教の初期に建てられた大型寺院の一つであり、モンゴルに様々な影響を及ぼした。
五塔寺
正式名称は「金剛座舎利宝塔」。フフホト市舊城の南東部に位置。清の雍生(ようぜい)帝の時代(1723~1735年)に建立されたレンガ・石造の高さ13mの塔であり、内部にはダライラマ3世の舎利(遺骨)が安置されている。塔の台座には金剛五界宝座を代表する5種類の動物とや、モンゴル語、チベット語、中国語の経文が彫られている。
昭君墓
フフホト市から南に9kmの大黒河の辺に位置し、漢代の王昭君の陵墓であると伝えられている。高さ33m、面積13,000㎡。秋には周りの草木が全て枯れてしまう中で昭君陵墓だけが依然として濃い緑色で覆われているため、「青墓」とも呼ばれている。
チンギスハン陵墓
床面積が5.5ヘクタールのモンゴル帝国初代皇帝チンギスハンの陵墓であり、内モンゴル自治区のオルドス(鄂爾多斯)市、エジンホロ(伊金霍洛)旗の草原に位置している。しかしながら、当時のモンゴル族社会では密葬が一般的に行われていたため、本物のチンギスハン陵墓の所在地には諸説ある。モンゴル民族と中国北方遊牧民の歴史・文化の研究において重要な遺跡である。